
無精子症治療
「0の行方」
第2話 精子が見当たらない!?
第3話 0(ゼロ)から生み出す魔法
第4話 何も変わらない
第5話 何で、俺やねんやろ
第7話 睾丸内に精子がいる!?
第9話 子どもがいない国にいきたい
第10話 俺、手術、せん
第11話 あきらめられない
第12話 0(ゼロ)が頭から離れない
第13話 温かい父の厳しい言葉
第14話 逃げているのは私だ
第15話 俺、手術、するわ
第16話 セントマザーとの出会い
第17話 俺、受精してん!受精してん!
最終話 これがお前のパパやで!
私が治療の話をしなくなったことに、和彦は気がついているように思った。しかし、お互いそのことには触れない。ただ、彼の全身から発せられていた「ピリピリ」が、少しずつ取れているような気がした。押し花をしていると、和彦が話し掛ける。「どこがおもろいねん」と、パリパリの花を不思議そうに手に取る。出来た絵を見せると、ぷっと吹き出すこともあった。そんな些細なことが、私の心を温かくした。
夏休みに、和彦とお義母さんと三人で、東北へ旅行することになった。新潟から山形に入り、仙台までをレンタカーで回るのだ。新潟でお義父さんの姉夫婦を訪ねた。お義父さんは新潟の出身だったのだ。二十数年ぶりの再会とあって、ご夫婦もお義母さんも、そして和彦も、玄関先で肩を叩き合って喜んだ。
「和ちゃん、お父さんに似てきたねぇ」
ご主人は和彦をしげしげと眺めた。
「本当に。そっくりだわ」
奥さんも、お茶を入れる手を止め、和彦を見つめた。和彦は、頭を掻いて、「よう、言われますわ」と、答えた。笑うとますます細くなる目や、顔の輪郭など、私は写真でしか知らないのだが、本当に、そっくりだった。
「お父さんはね、本当に、立派で、優秀な人だったんだよ、和ちゃん」
ご主人が、小さな子どもに聞かせるように身を乗り出して、和彦に言った。
「和雄はねぇ、一番兄弟想いだったからねぇ。心根のやさしい子やったよ。生きててくれたらねぇ。思い出話が出来るのに」
奥さんも、和彦の顔と、お義父さんの顔が重なるのか、懐かしそうにそう言った。
それから、お義父さんの小さい頃の話になった。成績が良かったので、家からかなり遠い進学校へ通うことになったが、家計を考え、電車に乗らず、何キロもの山道を歩いて通い続けたこと。学校が終わると、家の手伝いを、誰より熱心にしたこと。大学受験のとき、医学部を希望していたが、その年、お父さんが亡くなり、断念したこと。
「8人兄弟だったからねぇ、私たちは。母もどうしても行かせてやれなくて。でも、そのことで不平は全く言わなかったねぇ」
「和ちゃんは、そういう人だったよ」
ご主人は深く頷き、相槌を打った。
親戚の家を後にしてからも、和彦は何か考えているのか、静かだった。和彦が大学受験のとき、お義父さんは亡くなった。和彦もまた、第一希望の私立大学をあきらめていたのだ。それは不思議で、悲しい歴史だった。
私もまた、考えていた。父、母、祖父母、その先祖。私がここにいるということ。それまでに、いくつの出会いや、ドラマがあったことだろう。振り返れば、私たちもまた子供で、それぞれ、脈々と受け継がれてきた命のリレーの中にいるのだ。星のように果てしない、その道のり。私は、その不思議な拡がりに、一人、思いをはせた。
「俺、富士山に登って来る」
八月のカレンダーも残りわずかになって、突然和彦が言い出した。聞けば、以前から一度登ってみたかったのだと言う。決めてしまうと、あっという間に準備を始めて、ツアーに申し込んで行ってしまった。
心配していたが、怪我もせず無事に帰って来た。かなり疲れていたものの、御来光を見られたことが相当嬉しかったらしく、興奮気味にその様子を話してくれた。
「ずーっと雲っててんけどな、頂上に着いた途端、ぱーっと晴れてん!そしたらきれーな御来光が見えて、思わず拝んでん」
「なんかお願いした?」
「ヒミツ」
この頃は、ずいぶん二人とも話すようになった。夫婦なら、当たり前のことだが、そんなことさえ、しばらくは難しかったのだ。
二人でビールを何本か空けた。和彦は、ご飯をお代わりした。
「手術、するわ」
突然の言葉に、私は驚いて振り返った。
「俺、手術、する。俺は全然ええダンナやないのに、お前、ようしてくれる。わかっててん。ただもう、なんや、先のことが全く考えられへんかってん」
和彦は、箸を持ったまま続けた。
「次やって、ダメやった時のこと考えたら、もう立ち直れへんのちゃうかて思て、かなり恐ろしかってん。逃げとったんや。でも、もう一度、勇気出して、がんばってみようと思った。お前のためにも」
「・・・ありがとう・・・」
そう言うのが、精一杯だった。どれほどの思いで、和彦は決心してくれたことだろう。心の奥に閉じ込め、縛り付けていたものがゆっくりと解きほぐれていくのを感じた。
さっきは秘密だと言ったが、彼が、御来光を見て、何を祈ったか、私には分かった。






