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第13話   温かい父の厳しい言葉

一体、どうしてこうなってしまったのだろう。私と和彦は、一緒に住んではいるものの、同じ部屋にいると息苦しいほど緊張した関係になっていた。一人のとき、私は大抵泣いていた。無気力で、何時間でもボーッとしてしまう。何をどう食べているのか、気がつくと冷蔵庫の中の物がほとんど賞味期限切れ、ということもあった。ただ毎日を、どうして、どうして、と泣きながら繰り返す。
情けなかった。今の私は、土砂降りの中、水溜りに倒れこんでも、身動き一つとる力も無い。他人にどれだけ踏まれようが、何も感じない。小説やドラマの主人公なら、こんな時、決して負けはしないのに。「自らの運命に翻弄されつつも、強い意志で立ち向かう」主人公たち。そんな類の小説を、私は幼い頃から好んで読んだ。大人になれば、自分もそんな強い人になれるものだと信じていた。それがどうだろう。私は、自分の運命にすっかり振り回され、ボロボロでヘトヘトだ。現実は小説と違う。小説には終わりがあるが、現実はずっと続く。日が沈めば朝がくる。生活していかねばならない。月曜が来れば火曜が来る。ごみの日にごみを出し、給料をやりくりし、スーパーで食料品を買う。それが生活。それが生きていくということ。その一つ一つの、重み。
ある朝、いつものように和彦を送り出した後、私は限界を感じた。迷うもう一人の自分を振り払うように受話器を取った。
「お父さん、私。あのね、ずっと言わんかったけど、和彦さん、手術、嫌がっとらすと。もう何回も頼んだけど、嫌って。嫌って。もう私、疲れた。どうしていいか分からん!帰りたか!家に帰りたかぁ」
後は言葉にならなかった。ただ声を上げて私は泣いた。裸足で飛び出してでも、帰りたかった。帰って、両親に会いたい。ただ二人の娘だった頃に戻りたい。そう出来たら!
「そうか。そうやったとか」
私の嗚咽を聞きながら、父は静かにそう繰り返した。
「しばらく、頭を休めときなさい。後は、お父さんたちが考えてやるから。少し、ゆっくりしときなさい」 体の力が抜けていくのが分かった。私はもう、考えることにホトホト疲れていた。これ以上どうしたらいいのか、本当に分らなかった。ただもう、この両肩の荷を下ろしたい。それだけだ。私には重過ぎる。すでに和彦は、私の顔も見ようとしない。どんどん離れていく私たち。もう疲れた。
(後はお父さんたちが考えてくれる)
そう思うとホッとしたのだろうか。私は泣きながら、いつの間にかソファで眠ってしまっていた。
3日ほど経って、父から電話があった。
「お母さんとも話し合ったとけど、奈津子、しばらく、和彦さんに手術の話はせんようにしなさい」
予想外の答えだった。それで、何の解決になるの、と喉元まで出かかった時、父は続けた。
「和彦さん、手術が嫌て言いよらすとやろ。でも、それだけじゃなくて、結果が恐かとじゃなかとか?お前、次、手術して、もし、やっぱり無かったら、どうする?」
次、無かったら。はっきりと考えていなかった。手術させることでいっぱいだった。
「もし、今度手術して、精子が無かったら、その時になって、『あんたとじゃ子どもの出来んとやったら別れる』なんてことは絶対に許されんとぞ」
どきりとしていた。以前、和彦は、「お前、次やったら絶対有るて思てんの?」と言っていた。父は、「残された可能性を失う恐さは、本人にしか分からん。今は、しばらく見守ってやりなさい」と言って、めずらしく自分から電話を切った。
ショックだった。父なら、私に同情して、うんとやさしい言葉を掛けてくれると思っていたのだ。そして、「もうそがん奴は置いて帰って来い!」などと言われ、私は後ろ髪を引かれつつ実家に帰る、といった状況を勝手に想像していた。家には、帰れないのだ。父は厳しかった。しかし、父の言葉は、私の心に強く響いた。
私は、自分の苦しみで、体中をいっぱいにしていた。和彦のことを思いやる気持ちは、いつの間にか、消えていた。彼こそ、全身で苦しんでいるのに。彼もまた、この暗いトンネルを、一人でさまよっているのだ。
後で、母が電話でそっと教えてくれた。
「お父さんね、『奈津子が一人で悩んどると思うと・・・』って泣いとったよ」
私は唇を噛み、きつく目を閉じた。

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