
無精子症治療
「0の行方」
第2話 精子が見当たらない!?
第3話 0(ゼロ)から生み出す魔法
第4話 何も変わらない
第5話 何で、俺やねんやろ
第7話 睾丸内に精子がいる!?
第9話 子どもがいない国にいきたい
第10話 俺、手術、せん
第11話 あきらめられない
第12話 0(ゼロ)が頭から離れない
第13話 温かい父の厳しい言葉
第14話 逃げているのは私だ
第15話 俺、手術、するわ
第16話 セントマザーとの出会い
第17話 俺、受精してん!受精してん!
最終話 これがお前のパパやで!
C大病院の診察を数日後に控えた夜、和彦と居酒屋へ行った。「ちょっとお前と飲みたい」と和彦が言い出したからだ。ビールのグラスをあわせた後、和彦は話し始めた。
数日前、和彦は会社の上司と仲の良い同僚に、自分の男性不妊について報告していた。「会社休んだり早退したりすんのに、変なウソつかれへん」というのがその理由だった。すると今日、報告した一人の、Mさんが、和彦の耳元でささやいた。
「しかしタネ無いって、考えようによってはええんちゃうのぉ?浮気し放題やないか。子ども出来へんのやし。ちょっとうらやましいわ。あれやな、種ナシブドウみたいなもんやな。ぷっ、ぷぷぷ・・・」
いつもかわいがってくれていた先輩だけに、耳を疑うようだった、と和彦は悔しそうに言い、ビールを飲み干した。そうか。男性不妊は、こうして馬鹿にされたり、からかわれたりするものなのか。「他人にとっては、おもろい話のネタなだけや」と和彦が吐き捨てる。自分で受け止めることさえ困難なこの事実を、他人に笑われるつらさ。
会社帰りのサラリーマンやOLでいっぱいの店は、あちこちで歓声が上がる。そこから、ひどく遠い場所にいるようだった。
調べなければ、よかったのだろうか。実家の母が、「不仲の原因になるて、調べらっさん人もおらすとよ。大丈夫とね?」と、しきりに言っていた。調べなければ、和彦をこれほど苦しめることはなかった。男としてのプライドを、粉々にしたのは、私なのだろうか。しかし、調べなければ永遠に私たちは子どもを持てないのだ。乗り越えていくためには、知らなくてはならなかったのだ。私も、和彦も。そう思いながらも、今の私は、一日過ごすのもつらくてつらくて、やっと立っているくらいなのだ。和彦を、支えてやれるのだろうか。あの日以来、私たちの生活は一変してしまった。
その日は、12月と思えぬほど空が明るく暖かだった。C大病院は新しく立て直されたばかりで、どこも真新しく近代的だった。そしてそれは私たちを余計に緊張させた。
名前を呼ばれ、「Nドクター」と書かれたドアを開けると、30代前半くらいの若い先生が、私たちを迎えてくれた。白衣からのぞく足の長さが、背の高さを教えている。
「他の病院で、一度検査を受けられたんですね?」
「はい。その時、『精子が全く無い』と言われました」
和彦は、私が不妊外来に通い始めたので自分も検査を受けたことから、家族に勧められてここに来たことまでを説明した。
「わかりました。ですが、やはりもう一度、精液検査を受けてください」
「今から、ですか?」
N先生は、申し訳なさそうに、「専用の部屋はないので、皆トイレで採ってもらっています」と続けた。
1時間後、再び診察室へ呼ばれた。
「やはり、見当たりませんでした」
二人とも、驚かなかった。私も、泣かなかった。ただ、心の中で、「一匹もですか」と念を押したくなったが、答えは分かっているのでもう聞かなかった。
N先生は、ゆっくりとした口調で、まっすぐこちらの目を見て話してくれる。その落ち着いた雰囲気のせいか、私も冷静になれたようだった。いくつかの質問の後、N先生は和彦を診察した。
「まず、睾丸の大きさは、十分にあります。若干、管が細いようなので、もしかしたら、上の方でつまっているのかもしれませんが、今のところは何とも言えません。今日、血液検査を受けて帰ってください。この検査で、睾丸内に精子がいるかどうか、8割ほどの確率で分かります」
一言も聞き漏らすまいと、身構えている私を見て、N先生は続けた。
「それから、今後とも、ご夫婦で受診してください。たとえご主人の方の治療であっても、これは、ご夫婦の協力が必要なのです。私からのお願いです」
私は、大きく頷いた。
「私は、出来ない時は、はっきりそう言います。可能性が無いのに、『注射だけでも・・・』と、ずるずる引き延ばすのはスカンんのです。いいですか?」
今度は、和彦が大きく頷いた。
「これから、がんばっていきましょう!」
N先生の大きな声は、運動会の出走で鳴らすピストルのようだった。治療がスタートしたのだ。私は思わずぐっと唇をかんだ。和彦が隣の私の顔を覗き込む。
「アホ、泣くな」
和彦に突っ込まれ、私は頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
私より深く、和彦が頭を下げていた。
「ええ先生やったよな」
和彦も私も、N先生に好感を持った。初診を終えた夜、私たちはN先生の言ったことを思い出して高揚していた。「管が詰まっているのかもしれません」の一言が、私たちに光を与えたのだ。「今のところは何とも言えない」と付け加えられたことはすっかり頭から抜け落ち、私たちは勝手に希望を持った。
「だいたい、出来へん時ははっきり言うってとこがええわ。それやったら、やるだけやろうって思たしな」
それを聞いて、私はほっとしていた。何しろ、和彦が嫌がらずに通院してくれないことには、何も始まらないのだ。
しかし、そんな期待や興奮も、血液検査の結果を待つ2週間の間に、風船がしぼむように小さくなっていった。楽天的な気持ちが続くほど、私は強くなかった。血液検査では、ホルモンの数値を測定し、その結果で、睾丸内の精子の有無がかなり高い確率で分かるといわれている。睾丸内に、精子が無い場合、いくつかのホルモンが、通常の人とは、違った数値を示しているからだ。「絶対に分かる、というわけではありませんが」と言われたものの、やはり、かなりの確率で分かることはまちがいない。考え始めると落ち込んでいく。皮肉にも、和彦が喜んだ、「出来ない時ははっきり言う」というN先生の言葉が私を恐怖させたのだった。






