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第6話   信頼できるドクターとの出会い、そして・・・

C大病院の診察を数日後に控えた夜、和彦と居酒屋へ行った。「ちょっとお前と飲みたい」と和彦が言い出したからだ。ビールのグラスをあわせた後、和彦は話し始めた。
数日前、和彦は会社の上司と仲の良い同僚に、自分の男性不妊について報告していた。「会社休んだり早退したりすんのに、変なウソつかれへん」というのがその理由だった。すると今日、報告した一人の、Mさんが、和彦の耳元でささやいた。
「しかしタネ無いって、考えようによってはええんちゃうのぉ?浮気し放題やないか。子ども出来へんのやし。ちょっとうらやましいわ。あれやな、種ナシブドウみたいなもんやな。ぷっ、ぷぷぷ・・・」
いつもかわいがってくれていた先輩だけに、耳を疑うようだった、と和彦は悔しそうに言い、ビールを飲み干した。そうか。男性不妊は、こうして馬鹿にされたり、からかわれたりするものなのか。「他人にとっては、おもろい話のネタなだけや」と和彦が吐き捨てる。自分で受け止めることさえ困難なこの事実を、他人に笑われるつらさ。
会社帰りのサラリーマンやOLでいっぱいの店は、あちこちで歓声が上がる。そこから、ひどく遠い場所にいるようだった。
調べなければ、よかったのだろうか。実家の母が、「不仲の原因になるて、調べらっさん人もおらすとよ。大丈夫とね?」と、しきりに言っていた。調べなければ、和彦をこれほど苦しめることはなかった。男としてのプライドを、粉々にしたのは、私なのだろうか。しかし、調べなければ永遠に私たちは子どもを持てないのだ。乗り越えていくためには、知らなくてはならなかったのだ。私も、和彦も。そう思いながらも、今の私は、一日過ごすのもつらくてつらくて、やっと立っているくらいなのだ。和彦を、支えてやれるのだろうか。あの日以来、私たちの生活は一変してしまった。
その日は、12月と思えぬほど空が明るく暖かだった。C大病院は新しく立て直されたばかりで、どこも真新しく近代的だった。そしてそれは私たちを余計に緊張させた。
名前を呼ばれ、「Nドクター」と書かれたドアを開けると、30代前半くらいの若い先生が、私たちを迎えてくれた。白衣からのぞく足の長さが、背の高さを教えている。
「他の病院で、一度検査を受けられたんですね?」
「はい。その時、『精子が全く無い』と言われました」
和彦は、私が不妊外来に通い始めたので自分も検査を受けたことから、家族に勧められてここに来たことまでを説明した。
「わかりました。ですが、やはりもう一度、精液検査を受けてください」
「今から、ですか?」
N先生は、申し訳なさそうに、「専用の部屋はないので、皆トイレで採ってもらっています」と続けた。
1時間後、再び診察室へ呼ばれた。
「やはり、見当たりませんでした」
二人とも、驚かなかった。私も、泣かなかった。ただ、心の中で、「一匹もですか」と念を押したくなったが、答えは分かっているのでもう聞かなかった。
N先生は、ゆっくりとした口調で、まっすぐこちらの目を見て話してくれる。その落ち着いた雰囲気のせいか、私も冷静になれたようだった。いくつかの質問の後、N先生は和彦を診察した。
「まず、睾丸の大きさは、十分にあります。若干、管が細いようなので、もしかしたら、上の方でつまっているのかもしれませんが、今のところは何とも言えません。今日、血液検査を受けて帰ってください。この検査で、睾丸内に精子がいるかどうか、8割ほどの確率で分かります」
一言も聞き漏らすまいと、身構えている私を見て、N先生は続けた。
「それから、今後とも、ご夫婦で受診してください。たとえご主人の方の治療であっても、これは、ご夫婦の協力が必要なのです。私からのお願いです」
私は、大きく頷いた。
「私は、出来ない時は、はっきりそう言います。可能性が無いのに、『注射だけでも・・・』と、ずるずる引き延ばすのはスカンんのです。いいですか?」
今度は、和彦が大きく頷いた。
「これから、がんばっていきましょう!」
N先生の大きな声は、運動会の出走で鳴らすピストルのようだった。治療がスタートしたのだ。私は思わずぐっと唇をかんだ。和彦が隣の私の顔を覗き込む。
「アホ、泣くな」
和彦に突っ込まれ、私は頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
 私より深く、和彦が頭を下げていた。
「ええ先生やったよな」
和彦も私も、N先生に好感を持った。初診を終えた夜、私たちはN先生の言ったことを思い出して高揚していた。「管が詰まっているのかもしれません」の一言が、私たちに光を与えたのだ。「今のところは何とも言えない」と付け加えられたことはすっかり頭から抜け落ち、私たちは勝手に希望を持った。
「だいたい、出来へん時ははっきり言うってとこがええわ。それやったら、やるだけやろうって思たしな」
それを聞いて、私はほっとしていた。何しろ、和彦が嫌がらずに通院してくれないことには、何も始まらないのだ。
しかし、そんな期待や興奮も、血液検査の結果を待つ2週間の間に、風船がしぼむように小さくなっていった。楽天的な気持ちが続くほど、私は強くなかった。血液検査では、ホルモンの数値を測定し、その結果で、睾丸内の精子の有無がかなり高い確率で分かるといわれている。睾丸内に、精子が無い場合、いくつかのホルモンが、通常の人とは、違った数値を示しているからだ。「絶対に分かる、というわけではありませんが」と言われたものの、やはり、かなりの確率で分かることはまちがいない。考え始めると落ち込んでいく。皮肉にも、和彦が喜んだ、「出来ない時ははっきり言う」というN先生の言葉が私を恐怖させたのだった。

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