
無精子症治療
「0の行方」
第2話 精子が見当たらない!?
第3話 0(ゼロ)から生み出す魔法
第4話 何も変わらない
第5話 何で、俺やねんやろ
第7話 睾丸内に精子がいる!?
第9話 子どもがいない国にいきたい
第10話 俺、手術、せん
第11話 あきらめられない
第12話 0(ゼロ)が頭から離れない
第13話 温かい父の厳しい言葉
第14話 逃げているのは私だ
第15話 俺、手術、するわ
第16話 セントマザーとの出会い
第17話 俺、受精してん!受精してん!
最終話 これがお前のパパやで!
夕方になって、私たちは和彦の実家を訪れた。いつものように、お義母さんと義弟の馨さんが迎えてくれた。ダイニングテーブルにつき、お茶をいただく。和彦は煙草を吸い、ただ黙っている。四人で囲むように座っていると、なんだか急に改まった感じがした。
やがて、いつもとは違う私たちの雰囲気に、二人とも気がついたようだった。私たちの顔を見比べ、「大方、喧嘩でもしたんだろう」と、目で話している。居心地の悪い沈黙の後、やっと、和彦が口を開いた。
「俺な、精子、無いねんて」
「・・・は?」
二人とも、顔を前に突き出し、和彦を見た。驚いて、次の言葉が出ないようだった。それはあまりに突然の報告だった。
「俺、精子無いて言われてん。医者から。一個も見当たらんて。ゼロやねんて」
指で、ゼロの形を作り、和彦は、そこまで一気に言った。眉が不自然に上下している。
「し、調べたんか?」
「何で?何であんたが?」
「確かなんか?」
矢継ぎ早に質問され、和彦は、今日私と一緒に精液検査のため病院へ行ったことを話した。ひと通りの話を聞くと、お義母さんは、唸るようなため息を漏らし、頭を抱え込んだ。馨さんは、目の前のコーヒーカップを見つめ、呆然としていた。私は、流れる涙をそのままにして、黙り込んでいた。
「ということは、子供は無理なんやね。仕方、ないもんね」
お義母さんが頬杖をついた時、私は思い出して、今日買った本を取り出した。
「でもあの、色々、治療があるみたいなんです」
馨さんが、私から本を受け取り、ページをめくり始めた。私はかいつまんで説明したが、二人とも、耳に入っていないようだった。和彦に希望を与えた最新医学の話も、ここではあまり力を発揮しなかった。
「うちの家族に、何でやろね・・・」
和彦も、馨さんも、同じことを考えていたらしく、「そうやなぁ」と、つぶやく。
「遺伝じゃないやろし、おたふく・・も子どもの時だしねぇ」
誰も、原因らしきものは、思い当たらないようだった。実際、男性不妊は、原因不明の場合がほとんどだという。
「おとん、生きとったら、びっくりしたやろな」
和彦の言葉に、皆頷いた。お義父さんは、十年前に、他界されていた。
まだショック状態の二人に、とにかくどこか、男性不妊科のある病院へ行ってみるつもりだと告げ、私たちは実家を出た。車のドアをバタンと閉めると、体中がヒヤッとした。晩秋の夜が、車内の空気を冷たくしていた。みんな、混乱していた。きっと、天国のお父さんも、混乱していると思った。
角を曲がると私たちの住む団地入り口、というところまで来て和彦が、「B病院に、今から行ってみいひん?」と切り出した。
「今から?一番近いけど、もう遅いよ」
「あそこ、救急やから、行って、男性不妊科があるかどうかだけ、聞こ」
そう言うと、和彦は団地を通り過ぎた。B病院に着くと、入り口に、「救急」の文字が電灯に照らされて見えた。中では、毛布を肩からかけた女の子と、父親らしき男性がベンチに座っていた。こんな時間に、救急患者でもないのに来てしまったことに気後れした。私たちの前を通りかかった警備員に、私は思い切って声を掛けた。
「あの、すみません。ここに、男性不妊科って、ありますか?」
初老の警備員は、一瞬、「は?」という表情を見せたが、直接私たちの顔は見ず、窓口の向こうで、丸く囲むように座っている仲間に尋ねた。皆頭を横に振ったので、彼は、「事務員さんに聞いてあげるから。ここで待っといて」と言い残し、奥へ入っていった。しばらくして、和彦と、そう歳の変わらないくらいの男性がやってきた。今度は、和彦が一歩前に出て尋ねた。
「こちらに、男性不妊科はありますか?」
事務員の男性は、まるでちょっと昔のことを思い出すかのように、額に手を当てて、「男性不妊科・・・は、うーん、こちらには、ないですねぇ」と答えた。「申し訳ないですね」と、本当に、すまなさそうな顔をして、私たちが帰るのを見送ってくれた。
気のせいか、警備の方も、事務員の方も、私たちとあまり目線を合わせないようにしていたように思った。
「なんか、男性不妊言うたら、皆、やさしくしてくれたような気ぃした。事務員の人も、遅い時間やのに、出てきてくれはったしな」
車を走らせてすぐに、和彦が言った。二人にとって、全く実感のなかった、「男性不妊」という言葉が、唇に乗ったことでにわかに現実味を帯び、私たちの方へやってきた感じがした。二人とも、感じ取っていた。薄っすらとではあったが、同情されたことを。
長い一日だった。なぜか、そんなに涙は出なかった。驚きの方が大きくて、混乱して、頭が回らない、といった状態だった。病院も、どこへ行ったらいいのか、見当もつかない。何を、どうしたらいいのかもわからない。見知らぬところへ放り出されたような気分だった。地図もないし、目印もない。それでも立ち上がって、歩いてゆかねばならない。しかし一体どこへ・・・。
団地の自分たちの部屋へ帰っても、人形の位置ひとつ、変わったわけではない。昨日までと違うのは、私たちだけだ。数ヶ月間つけ続けていた私の基礎体温表は、この日で止まった。11月21日だった。






