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第3話   0(ゼロ)から生み出す魔法

どのくらい、経ってからだろうか。帰りの車の中で、和彦が言った。
「しかしびっくりしたよなぁ。まさか、『無い』、言われるとはなぁ」
「ほんとにねぇ。あなた、風邪で会社休んだこともないくらい元気なのにねぇ」
そして沈黙。ただ、二人の頭にあったのは、「そうだったのか」と言う言葉だけだった。それ以上、何が考えられただろう。
私は、本屋へ行こうと提案した。「とりあえず、本で調べてみよう」と思ったのだ。医師の言うとおり、来週再び精液検査のため、A病院を訪れる気は2人ともなかった。
書店に入るなり和彦は私から離れ、雑誌を立ち読みし始めた。特に、読みたいものがあるわけでは決してないだろう。彼は今、不妊症の本など手にとりたくもないのだ。本の背表紙を見て初めて気づいたが、同じ不妊症の本でも、男性不妊となると、その数はぐっと少なくなる。何冊か手に取り、パラパラとめくってみる。男性器の図解や、睾丸の説明が目に止まった。ふっと、涙が込み上げてくる。本棚の向こう側に、和彦がいる。数人の男性客にまじっていると、あの人に精子が無いなんて何かの間違いじゃないかと思う。
とりあえず、一番分かりやすそうなものを選んだ。店員に、「カバーはつけられますか?」と聞かれ、うつむきながら、小さく「はい」と答え、本を受け取った。
ファストフード店で、遅いランチを食べながら、私はさっそく買った本に目を通した。その前書きには、思わぬ記述があった。
「当院では、重症の男性不妊症に対して、積極的に続けている研究の成果で、ほとんどと言っていいほどの男性不妊の方にお子さんが授かっています」
驚いた。A病院の医師が、「この分野は今とても進んでいて・・。」と言っていたことも、まんざら気休めでもなかったか。何しろ知らない言葉が多いので、すぐには分からないが、検査法や、治療も色々あるらしい。さっそく、たった今得た知識を和彦に伝える。
「そうか。何も知らんかったけど、結構色々あんねんな・・・」
ほんの一時間前に聞いた運命の宣告を、店の喧騒はウソっぽくしていく。話ながら何度も、これが現実なのか疑ってしまう。和彦の返事も、何か違う問いへの答えのように錯覚しそうだった。それでも、この本にある思いもよらぬ現場の声には、かなり励まされた。落ち着いて、考えてみる。そうだ、きっと、医学はすごくススんでいて、私たちに合う治療法が何かあるに違いない。しかし、検査ではどうも精子は一つも見つからなかったらしいのだ。いくら最新の医学でも、「0」から何かを生み出すことなどできるのだろうか。そんな、魔法のようなこと。
幼い頃、冷蔵庫の卵を取り出し、一生懸命手の中で温めたため、雛が孵るのを待った。もしかして、私がやろうとしていることは、あの日の私と、同じ事なのだろうか。

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